ルネサンス三大巨匠とは

 

芸術界における実力・影響力は勿論の事、普段芸術に触れることの少ない人々に対する知名度などどれをとっても輝かしい実績を誇りイタリア・ルネサンスの三大巨匠と呼ばれる人物が存在する。

現代にもなお高い影響力を持つ三大巨匠について知ることで損をすること人はいないだろう。

 

目次

1.レオナルド・ダ・ヴィンチ

2.ミケランジェロ

3.ラファエロ

レオナルド・ダ・ヴィンチ

1452年イタリア・トスカーナ地方のアンキアーノで生まれた。

公証人の長男として生まれたが婚外子であったため、父親の姓を名乗ることができなかった。そのため、移り住んだヴィンチ村の名前を取って「レオナルド・ダ・ヴィンチ」と名乗ることとなった。この名前は単に「ヴィンチという町に住むレオナルド」を意味している。

こうした事情から正当な教育を受けられていなかったレオナルドは14歳の時にアンドレア・デル・ヴェロッキオという当時のフィレンツェを代表する画家に弟子入りし、画家としての才能を開花させていく。

その後は「モナ・リザ」や「最後の晩餐」など多くの後に世界的に有名となる作品を制作した。作品に対するこだわりを強く持っていいたレオナルドには未完成の作品が多くあるとされている。

また、レオナルドはエンジニアとしても活動をしていた。大砲の設計や飛行機械の図案作成、また時として軍事エンジニアとして雇われていた実績も持っている。

ミケランジェロ

1475年フィレンツェ共和国のカプレーゼで生まれた。

町の判事であった父が大理石採石場の経営を始め、幼少時代から石工に交じり金槌などを使用していたことが彫刻家としての道を切り開くきかっけとなる。

ミケランジェロが13歳になると画家のドメニコ・ギルランダイオに弟子入り。わずかな期間でその才能を認められ、その才能を見出され実施待遇でメディチ家で英才教育を受けることとなる。

しかし、その後はメディチ家当主の死去やフランス軍のイタリア進行、政府によってルネサンス美術が否定的な見方をされたことにより天賦の才能を持ちながらも活躍の場を与えられなかった。

だが、ボローニャに拠点を移していたミケランジェロに転機が訪れる。ローマ枢機卿が彼の作品を古代ローマの作品と勘違いを購入したことでミケランジェロの作品の出来栄えに感銘を受ける。そこでローマにミケランジェロを招き、生涯ローマ拠点で創作活動を行うことになる。

その後は「ダヴィデ像」や「最後の審判」など後世にも伝わる作品で彫刻家としてだけでなく、画家としても優れた才能を示していく。

当初は全裸のキリストを描いたことで非難を受けることもあったミケランジェロだが、彼の情熱性に後世の多くの画家は魅了され、多くの作品に模倣されることとなる。

ラファエロ

1483年フィレンツェ共和国と隣接する都市国家ウルビーノ公国で生まれた。

宮廷画家を父に持つラファエロは宮廷での生活を通じて上流階級のマナーなどを幼少時から身につけていた。またこの経験が画家としての活動にも影響を及ぼすこととなる。

11歳までに両親を亡くしたラファエロはルネサンスを代表する画家であるペルジーノに弟子入りをする。そこでは父親の手伝いから得た経験を元に当時の最先端とされているフィレンツェ美術を採り入れながら正確なドローウィングで画風を形成していく。

その後、ローマ教皇の招きで拠点をローマに移し、宮殿内の壁画を作成することになる。ここで手掛けた4つの部屋を「ラファエロの間」と呼ばれることとなる。

37歳という若さでこの世を去ったラファエロだが多くの作品を残し、完璧な様式美はバランス感覚に富んだ巨匠として最高の画家の1人と評価されることになる。

また他方でサン・ピエトロ大聖堂改築の指揮をとったことから建築家としても高い評価を受けることとなる。

 

 

<参考>

井野澄恵、井出創 『教養としての西洋美術史』 2019年 株式会社宝島社

木村泰司『世界のビジネスエリートが身につける教養 名画の読み方』 2018年 ダイヤモンド社