オランダでのチューリップの奇妙な歴史 「投機によるチューリップ・バブルと鬱金香」

 

オランダと言えばチューリップ、チューリップと言えばオランダを思い浮かべる方は非常に多い事だろう。

しかし、なぜチューリップとオランダがこのような結びつきを持っているのだろうか。

 

目次

1.チューリップについて

2.オランダとチューリップ 「チューリップ・バブル」の発生

3.鬱金香

チューリップについて

 

チューリップはユリ科チューリップ属の植物で、白や赤、ピンクを始めとして様々な色を持つ日本のみならず世界各国において人気を博す球根植物である。耐寒性に強く、開花時期は主に3月下旬から5月上旬、初心者には比較的育てやすいとされるのもまた特徴であろう。

原産地はトルコやイラン等の中東から中央アジアを中心に北緯40度線に沿ったエリアとされている。特にトルコでは多くの原種が発見されており、チューリップの言葉の由来もトルコ語の「Tulipan(チューリパ)」と言われている(チューリパとはトルコ語でターバンのような帽子のことを指す)。こういったことからトルコでは国花としてチューリップが指定されている。その他ではベルギーやイラン等も国花としてチューリップが指定されている。

 

オランダとチューリップ 「チューリップ・バブル」の発生

 

チューリップの生産量で世界一なのがオランダである。冒頭のチューリップとオランダのイメージはこの世界における生産量の多さから来ているのだろうか。このオランダの国花もこのチューリップであり、その歴史はオスマン帝国から16世紀末に伝えられたことがその始まりとされている。当初はその見た目通り「高嶺の花」としての存在であったチューリップは当時の社会的風潮も相まり、富裕層の贅沢品として愛され始めることとなる。比較的に生育環境が厳しいとされるオランダの気候や土壌においても栽培可能であった点も人気が加速する要因であっただろう。このような背景で富裕層を始めとする愛好家が増えていくことで、品種改良が盛んに行われた結果最高品種とされるものや、珍しい品種が誕生することとなり球根の価格が高騰し始める。その結果、チューリップの球根は「投機」として扱われ始める。

当初は先述の通り、富裕層の贅沢品としてのチューリップであったが、チューリップが投機対象として扱われ始めたことと、それ以前に植物学者がチューリップに関する書物を発表し大衆にも広く認知されていたことから、17世紀半ばに所謂「チューリップ・バブル」が発生する。当時のバブル期の日本において、これまで投資をしてこなかった人たちもが投資を行うようになったように、まさにオランダでもチューリップの栽培や投機取引で財を成すもの現れたという。しかしその結末を想像することは難しくないだろう。そのバブルは突如として終わることになる。歴史は繰り返すとよく言うが、富裕層の間で始まったこの一連も、その流れに乗ろうとした大衆の手によって終わらされることになる。

 

(余談)

繰り返しになるが、歴史は繰り返す。私自身は常にそう思っている。オランダでの物語は歴史のほんの1ページに過ぎない。今、これからの時代においても起こりうる為には資産防衛術を持つことは非常に重要となる。必ずしも自分自身で持つ必要はない。信頼できる人を見つけることも重要である。

 

鬱金香

 

「鬱金香」、どのような読み方か分かるだろうか。

正解は「チューリップ」である。チューリップは和名で「鬱金香(うっこんこう)」と表記される。日本に伝わったのは江戸時代末期、その歴史は幕府の遣いがフランスより持ち帰ったことが始まりとされている。大正時代に新潟で栽培を始め、その地が日本における発祥とされる。そこから100数年を経て、日本でも美しいチューリップ畑がいくつも存在する。また、童謡「チューリップ」は誰もが知っている曲の1つであろう。それほど日本にも文化は根付いていると言えるだろう。

日本でのチューリップの見ごろは広く3月下旬から6月上旬くらいとされている。これを機に、オランダでの歴史を感じながら日本のチューリップ畑を訪れるのもまた一興なのだろうか。